三つ子の出産って…?
こんにちは。
ご訪問ありがとうございます☺️✨
私は今から21年前に三つ子の長女として産まれてきました。
突然ですが…
みなさん、三つ子の出産って想像つきますか?
そもそも、三つ子を見たことがありますか?
私もよく、「実は私、三つ子なんです。」というと、
「え!三つ子なん?!初めて会うわ〜」と言われます。
「三つ子ってどうやって産まれてきたん?」
私達の場合は、帝王切開で産まれてきました。
ですが、一応、色々な条件をクリアしていれば膣分娩(下から)で産むことも可能みたいです😲❕
私は中学生になる頃まで、自分がこうして普通に生活していることは「あたりまえ」のことだと思っていました。
でもある日、母が妊娠中に書いた日記を読んで、自分が今何不自由なく生活していることや、同じ三つ子である妹と一緒に暮らせていること、母が生きていることが、すごい奇跡なんだと知りました。
三つ子の出産を含め、多胎出産は通常の出産よりもリスクが高く、赤ちゃんが死産してしまう可能性も高くなります。
からだに何かしら障害を持って生まれてくる場合もあります。
母体であるお母さんが亡くなる場合もあります。
当時の母の日記を読むと、それは私の想像を絶するような妊娠生活でした。
早産だったので、約9ヶ月の妊娠生活のうち約4ヶ月の入院生活。そのうち約1ヶ月もの点滴生活。
毎日襲ってくる頭痛や吐き気。
その姿はまるで、大病を患った人のようだったと思います。
そんな中でも大きなお腹をさすっては
「がんばれ〜がんばれ〜ママは強いから大丈夫。元気に産まれてくるんやで〜」
と声をかけていたそうです。
時には、ひとりの子の心音が下がり、ハラハラしたこともあったそうですが、同じ方向ばかりを下にしているからだとお医者さんから指示をうけ、夜も眠らず、寝返りを打ち直したそうです。
梅雨明け間近の暑い夏のこと。
妊娠27週の母は、毎日の注射だけではお腹の張りが治らず、一日中点滴をしてベットでしか生活ができなくなりました。
その頃の私達の推定体重は1300g。
母の日記には
「いよいよ、ラストスパート。これからが勝負。1日でも長く(私たちが)お腹にいられるようにがんばるぞ!」
と書かれてありました。
そんな母の支えになったのは、日本各地の双子・三つ子のお母さんからの励ましのメッセージでした。
「赤ちゃんも、1300gにまで大きくなったんですね!とっても元気で頑張り屋さんたちですねー。ママも心強いでしょう。ゴールまであと少し、ファイト!」
遠くはアメリカのオハイオ州に住む三つ子のお母さんから応援のメッセージが届きました。
そしていよいよ出産です❗️
4つの手術室には、20人ほどの先生と看護師さんが集まってくださいました。
私たちは全員2000gに満たない低体重で産まれたため、産まれてすぐ保育器に入れられました。
ですが、私たちが生まれた病院には当時、保育器が5つしかなく、本当なら保育器に入るべき赤ちゃんも、なるべく元気な子から親に返し、私たちのために保育器をあけてくださいました。
色んな人に助けられて、今の私があります。
辛い妊娠生活を乗り越えて、私たちを産んでくれた母。
母を支えてくれた父。
母を励ましてくれた双子・三つ子のママさんたち。
産まれてからずっと支援してくれた、おばあちゃん、おじいちゃん。
保育器を譲ってくださったご家庭。
お医者さん、看護師さん。
そのほかにもたくさん。
産まれてからもたくさんの人に支えられてきました。
感謝してもしきれません。
ブログを書き始めて、これが初めの書き物です。
たくさんの方のおかげで私の命があると思うと、無駄にはできませんよね。
みなさんへの恩返しをこれからしていかないとですね。
このブログでは、これまでの三つ子の軌跡を少しずつあげていこうと思います。
私たちは今、21歳。
小さかった頃の自分たちを振り返りながら、自分たちの現在についても挙げていこうと思います。
少しずつ、まだブログ初心者ではありますが、たくさんの人に読んでもらえたら嬉しいなと思います。
ではでは。